九年郵便局で期間雇用社員として勤めた
郵便局に勤めて、今年で早9年。9年前に私は、北海道の旭川中央郵便局にて、外務社員のユニフォームに袖を通したときに、このユニフォームを着てこれから65歳まで郵便局員として働き続けていくことを、背負った「JP」の文字に誓いました。
苦しい時も、辛い時も、私は、郵便局に勤め続けました。大雪で、腰までの深さの道を雪を掻き分けて30Kgの米を担いで何度も往復しました。集荷業務がパンクしてしまい、局に帰る頃には、22時になってしまい、その後諸々時間がかかってしまい、23時頃に帰った日のこと。同僚とうまくいかなくて、鬱に追い詰められて、何度も仕事に行きたくないな、明日が来なければいいのに。と思った時もありました。正直、自殺しようかなと思ったことがありました。誰も助けてくれなくて、誰も支えてくれなくて。辛かった。
辛く悲しい時に、周りの誰かに助けてもらったことはほとんどなかったと思います。ですが、ここのプロフィールにいる当時ネットの友達であったカズキにより、私は、なんとか死なずに立ち上がり、また郵便局員を続けることができ、郵便局が私というあまりに使えない役立たずを拾ってくれた恩を返したかった。そして、あの日、9年前の9月11日に誓いを果たそうと、必死に頑張ってきました。
周りにたくさんのご迷惑をおかけすることがありました。上司にも、同僚にも。たくさんたくさん恩がありました。お客さんにもたまに怒られて、たまに励まされて、けっぱりなさいと背中を押されて走りました。旭川中央郵便局では、六年間走り続けました。
そして、石川県へ
私は、新金沢郵便局の集荷センターに移りました。理由は、家族や、その他もろもろが理由です。ここでは、親友となったカズキに助けられて再び走り始めました。今度は、前みたいに失敗しないように、と。
新金沢郵便局集荷センターの給料は、他の石川県のアルバイトよりは、とても高く1000円越えで正直稼げそうだな、と思っていました。上司は怖かったですが、男気もあって、面倒見も良く、正直私は、もしも、私に父親がいたのなら、こんな感じだったのかなと、思いつつとてもこの職場が好きでした。
行った作業は主に、事業所を回るという集荷作業。郵便物や、荷物をお預かりするというものです。
石川県のお客さんは、北海道とは違って気難しいお客さんが多く、昔特有のお客様は神だという対応を迫られることが多くありました。
ですが、私は、再び就かせてくれた郵便局に恩を返しつつ、お金を頂戴したいと思い、一生懸命働きました。
色々ご迷惑をおかけしたりすることはありましたが、とても仕事は楽しく、毎日が有意義でした。
だけど稼げなかった
集荷センターの仕事量は、少ない。北海道よりも非常に少ない。北海道では、多くの個人宅のお客さんまで集荷することが多かったです。なので、8時間ほど、実動時間は、7時間15分ほどありました。なので、当時1000円以上だった私は、月に15万円ほど手取りでもらえていました。
しかし、新金沢郵便局の労働時間はたったの6時間。休憩はない。月にフルで働いても、12万円いかないことも多い。本当に残念だ。
そして、郵便局は、全国共通で、ランク制度を給料に反映している。一番上からABCとあり、その間に、有か無とある。私は、北海道で働いていた時は、A有というランクで、一番上の給料をもらえていたのもあって安定していた。
だが、そのランクは新金沢郵便局では上げられづらい傾向があった。ランクが上がるには、資格があってその資格を満たしていたら、そのランクに上がれるというものだが、私は、新金沢郵便局で言うAランクに相当するスキルはあった。
だが、ランクはあげられなかった。例えば入力ミスがあったから、下げる。とか、いろんな理由をこじつけてあげないとかと言うものだ。そして、7時間の実動時間に増やして欲しいのに、その要望は通さずに、Aランクの資格の一つである、一トン車に乗ることを当時一番下のランクであるC無だった私はやらされた。
正直、納得がいかない。国際小包の知識もあるし、年賀状も売ったりもしていた。だが、反映されず、郵便局からの要求のみが通り続けていた。
離れていく愛社精神
お金は、稼がせてくれない。でも、負担が大きい。そうなれば、ストレスがかかっていく。ルームシェアしているが、そちらに回せるお金が、あまりなく生活費の足しにすらならないことが多くあった。本当にルームシェアの友人には負担をかけてしまっている。その申し訳なさは確実に私を蝕んだ。当然だ。月に11万円しかないのだから、きついに決まっている。本当に、毎月毎日申し訳なさで、嫌になっていた。いくらルームメイトが公務員だからといって甘えきりである自分が許せないと思った。
そんな時だ。ルームメイトであるカズキが私に、プログラミングを勧めてくれた。今でも憶えている。
プロゲートのスマートフォンのアプリで、プログラミングの勉強を始めたこと。カズキのパソコンを借りて、実際にHTMLを組んで、ホームページを初めて作った時のことを。
プログラミングに恋をした。
私は、プログラミングが好きになった。そして、いろんなことをチャレンジしようと思った。それは、まさに夢のような世界だった。四六時中プログラミングの動画をみあさり、四六時中、プログラミングをしていた。本当にプログラミングをしている時間は、とても楽しくて、とても私は、その時間が幸せだった。これは、口だけではなく今もそうだ。そして、口には出してはいないが、アプリケーションの開発も進めている。何をどうするために必要なのか、何を作るか。それらを考えて、じっくりと処理についてや、色々なことをしようとしている。
これから先、僕がどうなるか。
そんなことは知ったことではない。ただ大好きなプログラミングをしてセキュリティの勉強もして、英語の勉強もしたい郵便局の転職はあくまでも僕にとっては、始まりに過ぎない。これから先、どんな未来が待ち受けていたとしても、僕は自分が進みたい道を進むだけだ。